えぽっくbW6   2013年4月1日発行   「ようこそ八重洲へ」渡辺明子  「ニューウェーブ」花井敏夫   

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えぽっく86号 テキスト表示

西山三郎切り絵原画 20×30糎前後 昭 8枚 18,000円
西山三郎挿絵原画 23×27糎 無記名 昭 2枚 2,500円
西山三郎切り絵紙芝居 -あじさいのおれい- 38×60糎 昭 16枚 20,000円
早乙女貢大色紙 「絶望シテ人生ヲ織リ堕落シテ真理ヲ得ル」 毛筆落款入38×45糎 昭 1枚 8,000円
西山三郎似顔絵 18×23糎 昭 1枚 2,500円
東京・竹とんぼ 昭和東都おもちゃ名所巡り 桝岡良 版画 いづみ工房 袋 版画サイズ55×115粍前後 後
送分「全国大会」1点欠 袋少ヤケ汚れ 昭40 13点 9,500円
北海道みやげ(土人アイヌ風俗) 壹輯 高木東亜堂 10枚綴ポストカード 発行年不明 ヤケ少シミ 1冊 2,500

度量衡提要 第三版 木間瀬策三序 小倉二鶴堂 少ヤケイタミ 少虫喰 大3 1冊 5,000円
寺山修司全歌集 寺山修司 風土社 初 函帯 ペン署名入 天小口地極少シミ 昭46 1冊 20,000円
相撲大鑑 常陸山谷右衛門 文運社 ヤケ 背イタミ 明42 1冊 28,000円
本邦新聞史 朝倉亀三 雅俗文庫 初 附年表 和装 蔵印 地に書名記入 少シミヤケイタミ 明44 1冊
40,000円
赤木圭一郎ベスト12曲 -勁文社フォノシート5巻156号- 勁文社 ソノシート3枚入 プロマイド欠 少イタミ 昭
41 1冊 8,500円
寶船考 井上和雄 昭森社 特装限50 二重函 表紙裏表紙少汚れ 内函天地イタミ 外函ボール紙製かぶ
せ函・角イタミ題箋シミ 昭11 1冊 18,000円
句画集 爐端 高橋友太郎編刊 限80 二重函 天少ヤケ 外函少汚れイタミ 昭43 1冊 13,000円
商業広告図案大集成 辻克己編 浩文社 見返頁少書込 蔵印有 ヤケイタミ 昭11 1冊 2,0000円
長谷川利行作品展アルバム -異色作家シリーズ- 河北倫明序 渋谷東横店旧館七階画廊 自画像・酒売
場・麦酒室・新宿風景・女の顔他写真版59点貼付 アルバム仕立て 昭 1冊 30,000円
徳力富吉郎木版画「大和信貴山」 25×37糎 昭 1面 10,000円
ピョン子チャントトンチャン -ピクニックノマキ- 三木眞臼 高島屋出版部 7×35糎小冊子 24頁 折れ跡有
昭22 1冊 3,500円
SHOP SERVICE加盟店お買物案内・神奈川県四季観光案内図 ショップサービス 発行年不明 30×88糎
蛇腹折時30×11糎 少イタミ 下部角2×1.5糎欠 1枚 4,000円
型録 -WEST VILLAGE CATALOGUE- 創刊号 西武百貨店ウエストビレッジ 特集=俺のアメリカ 非売品 ヤ
ケ少イタミ 昭50 1冊 7,000円
フランスノコドモ 瀧川太朗 一元社 初 少ヤケイタミシミ 昭22 1冊 5,000円
So I went to Japan ALVIN GRAUER THE NIPPON TIMES,LTD. Illustrations by YACCO TAKAMORI 和
装 シミヤケ少イタミ 昭21 1冊 8,000円
長谷川利行遺作画集 明治美術研究所 初 18×13糎 30頁 ヤケ少シミ 昭16 1冊 20,000円
野獣派 長谷川利行 矢野文夫編 藝術社 初 少ヤケ 天小口地少シミ 昭29 1冊 7,000円
プレイ・グラフ 創刊号 丸尾長顕 渋沢秀雄 石黒敬七 田辺貞之助 菅原通済他 新風社 「谷崎潤一郎氏と
三人の女優さんの往復の手紙」他 表紙折れ跡 昭37 1冊 4,000円
長谷川利行をしのぶ 平木凉庵編刊 座談会・対談(衣笠静夫氏・高橋典之氏)他 ヤケイタミ 昭35 1冊 4,500

家庭教育萬国語学ガイド International Language-Cards. for Home Education 賜皇子殿下各宮殿下台覧
 不揃 75枚 函コワレ 1函 8,500円
EIN WOHNHAUS (独文) BRUNO TAUT(ブルーノタウト)REIHE DER KOSMOS HAUS BOCHER 118頁 色見
本付 裸本背少イタミ 昭2 1冊 40,000円
新案物識りかるた -少年倶楽部17巻1号附録- 堀七蔵解説 講談社 函 亀井実取札の絵 吉川正一箱の
装幀 取り札読み札各48枚揃 少シミヤケ 昭5 1箱 12,000円
大久保作次郎作品集 大久保作次郎 一噌連編 展覧会図録刊行会 原色版2点モノクロ35点収載 裏表
紙汚れ 昭13 1冊 8,000円
貨客事務職員用新鉄道路線図 -27年10月現在国鉄新機構版- 交通日本社 21×230糎 蛇腹折 少シミ
昭27 1冊 3,500円

 


ニューウェーブ

 東京の桜は予想よりも早く咲き乱れましたが、皆さま十分に堪能されましたでしょうか?桜祭りの主催者は予想外のスピードにご苦労されたようですね。
 新年度も始まり、八重洲にもニューフェイスが目立ちます。新人はもちろん、先輩たちも新戦力教育とともに慌ただしい日々と推察いたします。が、このような時期こそ気分転換は大切、本を手にするもよし、異空間の工房で懐かしいものにふれるもよし、R.S.Booksで深呼吸してください。
 マスコミにも取り上げられて話題となっていますが、新宿サブナード・古本浪漫洲に参加しているれんが堂書店・佐々木嘉弘さんが、この3月31日に「つちうら古書倶楽部」を開設しました。JR土浦駅から徒歩1分、面積800uと、常設店舗としては最大級です。かつての伊勢丹大古本市を思い出します。大規模古書即売展の常設化と言うべきか、出店する古書店も入れ替わるので一定期間で商品もガラリと変わっていくわけです。30万冊というボリュームと新鮮さは魅力ですよね。
 上野駅止まりの常磐線などが東京駅に乗り入れるための工事が急ピッチです。東京駅から土浦まで乗り換えなしとなればR.S.Booksと“つちうら古書倶楽部”はご近所さんですね。
 日頃、さまざまなジャンルの本をお客さまからわけていただいていますが、当店向きでないジャンルの本は加盟する古書組合の交換会に出品しています。一昔前までは神保町の古書店さんたちが強力な買い手でしたが、昨今は地方の古書店、新たに加盟した古書店さんたちが主役となりつつあります。インターネット通販をメインにする方、地方に店舗を構える方、喫茶やお酒、グッズとの複合店を構える方など、販売手法やロケーションに変化があります。これらの新しい流れにおいては“お客さまからの仕入”が、まだ少ないことも交換会での買い意欲が強い要因でしょう。
 電子書籍化の流れは一層強くなるご時世、リアルな古書店は大きく変化しています。目抜き通りではなく、一歩路地に入ったり、間口は狭くても入ったら大きな空間であったり、おしゃれな小物に惹かれて入ったら奥には本がビッシリと並んでいるなど、古書店の姿も様変わりしていくことでしょう。昔ながらの古書店と新しい姿の古書店を同時に楽しめる今日は、古書店巡りの楽しさも倍加する時代なのかもしれません。“温故知新”古書店で何かに巡り逢ってください。
 スタッフ一同、皆さまのご利用をお待ち申しあげます。
           金井書店 花井敏夫


ようこそ八重洲へ

古本屋の仕事には新年度もなにもありませんが、仕事の節目は通路を行き交う人々の雰囲気から伝わってくるものです。長期休暇を前にしたちょっと浮き足たつ感じとか、慌ただしい年末。異動の季節に現れる新卒入社組も集団で動くことが多いから一目で判りますね。この時期のランチタイムはベテランも新人も一斉に昼食に出てくるので、どの飲食店も行列ができ一年で一番賑やかな昼の地下街になります。

初めて八重洲で働く人はこの場所にどんな印象を持つのでしょうか。丸の内ほど整然としたビル街でもありませんし、日本橋のように伝統を感じさせるわけでもない。銀座ほど強い流行性もない。際立った特長のある街に囲まれた庶民的なオフィス街といったところでしょうか。長く働いている身からすると庶民的だからこそ働きやすい場所ともいえます。

地味なことは確かですが、江戸時代から連綿と続く歴史のある街です。今回は八重洲の歴史を少しご紹介しましょう。ちょっとした会話の話題にでも使っていただければと思います。みなさまが八重洲に興味を持つきっかけになってくれれば、なおのことうれしいです。

 

●地名「八重洲」の由来

八重洲という地名の由来は江戸時代に遡ります。1600年に九州にリーフデ号という船が漂着しました。生存した乗組員数十人のうちの1人、ヤン・ヨーステンというオランダ人は江戸に呼ばれた後、徳川家康の信頼を得て幕府の外交貿易顧問を務め、江戸城近くに屋敷を拝領しました。ヨーステンは1623年に亡くなりますが、屋敷前を流れる河岸は彼の名前をとって八代洲(ヤヨス)河岸と呼ばれるようになり、その名は明治まで残ります。ここからヤエスという地名が生まれました。八重洲地下街にはオランダ人の彫刻家が作ったヤン・ヨーステンの像がありますので、ぜひご覧ください。ただ、この八代洲河岸があったのは今の八重洲ではありません。東京駅の向こう側、丸の内の地下鉄二重橋駅の付近です。

地名がはるばる東京駅を越えてやってきたことになりますが、橋渡しをしたのはまさに橋の名前。向こうとこちらを行き来するために八重洲橋という橋が架けられていました。もとは向こう側の地名をとって八重洲橋と呼ばれていたのですが、のちのち橋にちなんでこちら側が八重洲という地名になりました。このあたりの元の町名は呉服町、檜物町、桶町、眞木町、南鍛冶町など江戸初期に職人やその製品の名前から名付けられたものがほとんどです。それらがすべて八重洲に変わったのは昭和29年のことです。もう少し詳しい経過があるのですが、詳細をお知りになりたい方は『八重洲のおはなし』をお読みいただくか、渡辺までお尋ねください。

 

●八重洲の歴史

東京が世界有数の都市になったということに異論のある方はいないと思いますが、その基盤は江戸時代に造られました。江戸が大都市になったのは徳川家康が江戸幕府を開いてからで、それ以前は小さな城下町でした。埋め立てや開削などの大規模工事を経て江戸は出来上がっています。当時は陸上での輸送力が弱いため水運が発達していました。江戸城を造る土木資材から各家庭の食卓にのぼる食材まで、すべて船で運ばれていました。現在は日本橋川しか河川のないこのあたりも、ぐるりと川に囲まれていたんですよ。ですから橋もたくさんありました。日本橋にはじまって京橋、江戸橋、新橋、呉服橋、鍛冶橋、数寄屋橋と、この周辺にある○○橋という地名は全部、江戸時代にあった橋の名前です。地名を線で結んでいけば、川に囲まれていたことがおわかりいただけることでしょう。

ここは庶民が暮らす町でした。庶民が生活する町って当たり前のことのようですが、すぐそばにある東京駅から皇居までの一帯はまるで性格が違いました。広い大名屋敷が並び通称「大名小路」と呼ばれていて完全な武家の世界。町人の家屋は一軒もありません。こんな川柳があります。

丸の内きよろりきよろりと田舎者

その一方、江戸っ子たちは同じような場所が他の地方にないことを自慢にも思っていたようで、

他の津にないは大名小路なり

江戸味噌といふは大名小路なり

などとも詠んでいます。

町人地だったこちら側は日本橋を中心として日本で一番の商業地に成長しました。日本橋といえば魚河岸、江戸っ子たちの台所。江戸初期には芝居小屋や吉原も近くにありましたから、町自体にデパートやアミューズメントのような楽しさがあったはずです。

一日に三千両のおちどころ

という川柳があるのですが、朝は魚河岸に千両、昼は芝居に千両、夜は吉原に千両おちるといわれていました。江戸の町の繁栄ぶりがわかります。

 歌舞伎が生まれたのもこの土地でした。歌舞伎のはじまりは出雲の阿国といわれていますが、江戸で常設の興行をはじめたのは初代中村勘三郎です。場所は日本橋と京橋とのちょうど中間くらい、中橋南地といわれるところです。歌舞伎がはじまる前から浄瑠璃や狂言などの見世物が行われていたといいます。こうした芝居小屋は江戸城に近すぎるという理由から、10年くらいで移転させられています。よほど大勢の客で賑わったのではないでしょうか。

このあたりにはこうした江戸時代に由来する記念碑がいくつか建てられています。日本橋由来記、日本橋魚市場発祥の地、江戸歌舞伎発祥の地などなど。もちろん他にも広重の住居跡があったり、坂本龍馬が通った千葉道場があったりと歴史的話題に事欠きません。歴史散歩をおすすめします。また、先に紹介した古い町名もビルの名前に冠されて残っていることがあります。江戸切り絵図を見ながらの町歩きも楽しいですよ。

さあ話を明治時代に進めましょう。政治的には大きな転換点になりましたが、庶民の暮らしが急に近代化したわけではありませんでした。もちろん場所によってはがらりと姿を変えたところもあります。銀座は火災を契機に煉瓦街になりました。丸の内は大名屋敷が消えて無人の原っぱになりました。それとくらべると八重洲の変化はゆるいもの。時代の流れに沿いつつ徐々に形を変えていきました。路面電車が走るようになり、老舗の大店が百貨店になる。日本橋に日本銀行や兜町など経済の中枢機能が造られはじめたのも明治時代でした。オフィス街へと変貌しつつも、路地に入るとまだ下町の顔がある。三味線や長唄、木遣りの声が聴こえてくる。八重洲はそういう街でした。そして東京駅が完成。これが大正3年のことです。

東京駅の完成当初、改札口は丸の内側だけで八重洲口はありませんでした。こちら側からは駅の脇を通って丸の内側に廻るしかありません。不便だったと思います。それが解消されたのは昭和4年。東京駅の乗降客が増えてきたため、小さな改札口が設けられます。本格的に八重洲口改札が造られたのは戦後のこと。そして昭和29年に大丸東京店が入った6階建ての駅舎ができました。

 

●八重洲地下街ができたころ

八重洲地下街ができたのは昭和40年。工事が二期に分かれたため現在と同じ広さになったのは昭和44年です。開業当初から現在までずっと都内で一番広い地下街です。全国で見ても二番目の広さを誇ります(一番広いのは大阪のクリスタ長堀)。

この時代は東京全体が変わっていきました。何といっても一番大きな出来事は昭和39年の東京オリンピック。これにあわせて高速道路が造られ、東海道新幹線が走り出します。反面、自動車の交通量を増やすため路面電車が姿を消し、数多くあった河川の埋め立ても進みました。水運から陸運へ転換期だったともいえます。地下街の開業も、都心に車が増えたため、地下駐車場の必要性が高まったことが背景にありました。

 

●これからも変化しつづける八重洲

八重洲の変化について書いてきましたが、今後も八重洲は変っていくことでしょう。実際、ここから京橋にかけた地域はまだまだ開発の予定をたくさん控えています。歩いていても竣工間近のビルや、解体がはじまった地区などが目にとまります。八重洲口駅前にあるヤンマービルの再開発計画も動き出したようです。

昨年は東京駅赤レンガ駅舎の復原や大丸東京店の増床が完成して話題になりました。特に東京駅駅舎が完成したときは大変に混雑し、現在も毎日たくさんのお客様がお越しくださっています。でもこの八重洲口周辺もまだ進化の途中です。歩行者デッキ、グランルーフが建設中で完成予定は今秋、駅前広場の整備も進んでいます。竣工したときには緑が増えて、風通しのよい新しい八重洲口の誕生です。