古本屋−その生活・趣味・研究− 創刊号掲載 昭和61年1月発行
スーパーマン
花井敏夫
- もう、十年も前だろうか、古本屋になって間もなくの頃であるが、晴海埠頭の大見本市会場の一角で古本市を開催した。新宿支部の井上さん、西北さん、五十嵐さんに誘われて初めて自分で車に本を積んで売りに行ったのです。他に南部支部の人たちも一緒にやりました。会場はビジネスショーの広い会場の中でした。説明に依ると、ものすごい数の人が集まるとのことなので、皆、大変張り切りました。私は何もわからずに、ただ、言われるままに参加したのですが。
- まわりは奇麗に飾られていろいろな事務機器などがいっぱい並び、来場者にパンフレットをあげたり、説明したりと、なかなかの忙しさ。お客様は誰もが紙袋にいっぱいのカタログを詰めてお帰りになります。
- そんな中、本はまったく(?)売れないのです。何故なのだろう(?)と考えてみれば、物を売るというよりも、新製品や未来図を見てもらうところなのです。初めから、目的が違うのです。客筋のグレードは高いのでしょうが筋が違うのです。例えば、学校の関係者もいらっしゃるのですが先生でなく事務の方であるように。新規のことを始めると良い意味でも悪い意味でも予想外の結果が出るものです。当店の売上は、確か、数万円だったと記憶しています。品物は自分で運んだので運賃は無視しても殆ど実入りがないのです。とにかく、全員でご苦労様の一言です。売れなくても、生活費に困った訳ではないのでまだまだ気楽なものでした。
- こんな事がありました。地方の或大学の方から値段を聞かれ幾らぐらいですとお答えすると、お願いしますとの事。早速知人の本屋さんから取り寄せてお送りすると、先方から電話があり、買いたいのでは無く,買って欲しいとのことで全く逆なのです。どこでどの様に食い違ったのか分かりませんが、うち向きでない本が二セットも在庫となったのです。あとで、損をして処分したように思います。こんな訳で私のキャラバン隊は厳しいスタートとなりました。
- さてさて、以上の結果は私より、私に声を掛けた人たちに大きなショックを与えました。私は今でもどうということ無く、売れなかったことだけしか残っていないのです。それだけウブかったのだと言う事でしょうか。言われたことをして、出てきた結果もそんなものと素直に受け止めていたのです。しかし、井上さんと西北さんのお二人にとっては特にショックであったようで、会うたびに屈辱戦をやろうと張り切っておりました。
- ある日、お二人からスーパーの店頭販売のお誘いがありました。場所は原町田ダイエーです。ここは四人か五人で始め、三・四ヶ月毎にやったと思います。店頭ですから冬には雪が降り、春風では砂ぼこりが舞い上がり、夏には夕立がありと言った具合いで、なかなかうまく商売ができないのです。でも、出店していれば少しづつでも売り上げはあるけれど、やらなければ売り上げは絶対にゼロなのです。そして、時には予想以上に売れることもあり、思ったより売れればやはり嬉しいもので二匹目のどじょうをすぐ狙ってしまうのです。
- そんな、のんびりムードから今では月に少なくて三カ所多いときには八カ所ぐらいもこなすようになったのです。
- スーパーなどに出張販売するときには、そこに近いお店と統括する組合又は支部にご了解を得てから開催するわけですが、当初は不手際やご理解されないことなどいろいろと問題がありました。私はまだまだ若かったので、難しい問題に直接接することもなくお話だけ聞いておりました。今思えば、何と気楽な立場であったのだろうと思います。世話役の井上さんたちがとにかく熱心な人たちですから必要があれば二度も三度もスッキリするまで徹底して話し合っておりました。その結果私達が出店する関東地区は、共催を中心にスムーズに開催できるようになりました。
- この頃はまだ取引口座をもっておらず浅草橋の文房具屋さんを通してお金を頂いていたのです。毎月、入金が確認されると先方の事務所まで行き小切手を頂いておりました。売上の一パーセントを差し上げるとは言え、売上が少ないのですから手数料としては、本当に微々たるものです。ですから、いつも遠慮しながら、しかも、丁寧にお礼を言ってから失礼してきました。そして、事務所を出ると、すぐ銀行に飛び込むのです。裏判を押してもらった小切手を持って、三時ぎりぎりのことが殆どでした。その受け取った現金をもって、早稲田に戻り西北さんのお店で分け合ったものです。そうこうしている内にダイエーから取引口座を貰えることになり、迫力満点の五十嵐さんの名儀とすることになりました。このあたりで、やっとグループとして一本だちできたというところでしょうか。
- さて、私自身はいつごろから張り切り始めたのでしょうか。実は、二十四歳のとき結婚して、翌年女の子が生まれて、しばらくして家を買って、そう、何が何でも稼がなければならなくなったのです。住宅ローンの返済額が給料以上であったのですから。よくもずうずうしく借りたと思うし、銀行さんもよくおもいきって貸してくれたと、今でもつくづく思います。それでなくとも、一人の時と比べたら結構使うもので、いくら有っても困りませんと言ったところでした。
- お陰様で、働くしか能のない人間になりました。それも頭脳では無く、体力で以て勝負するタイプです。でも、このころから売ることの楽しさも感じられるようになりました。ちょうど店買で、新刊本が結構入っていたときですから、それらを六・七掛で随分売ったのです。横浜西口店では、昼ごろからお客様で一杯になり、自由に歩くことも出来ないくらいで、棚の前に二重三重の人垣となり本を手にするのが大変でした。棚を直したくても入る余地がまるでないのです。尤も、会計が忙しくてそんな余裕もありませんでしたけれど。
- 次から次からくるお客様に追われて時間が経つのが速いこと速いこと。全く信じられないぐらいでした。閉店してお客様がいなくなると見るも無惨な姿では有りませんか、本が山となっているのです。棚の中はガタガタ、ワゴンや平台のうえは二階から投げ捨てたみたいに大きな山が幾つもできていました。「売れるのは有り難いが何と言うお客達なのだろうか。面倒見切れないよ。」と、ひとり言を言いながらせっせと明日の準備をしたものです。店に帰れば、補充品を車に詰め込んでただ寝るだけ。朝になれば、早起きをして、張り切って出発です。とにかく、持って行けば売れたのですよ。セットものでもなんでも。百科事典も一日で二つ三つと売れたのです。
- 八王子店も結構面白いところでした。夕方の忙しいときには、レジに三人立って、一人が伝票を剥し計算して、次の一人が包装して、もう一人がレジを打ちお金を貰うわけです。この流れ作業がいっときの間もなく次から次へと続くのです。お客様は何人も並んでいるのです。とにかく凄いスピードなのです。このごろの店頭販売では全く考えられない夢の様な時です。
- こんな楽しい、面白いのは、ほんの一時です。やはり、仕事です、商売です。売上が低迷してくると、どの様にして効率良く売るかと言う問題になります。たとえば、一日店番するのであれば、より多くの商品を並べて売上を増やすとか、商品を寝かすことなくいろいろな所で販売するのです。所変われば品変わると言うところです。ですから、出店先をどんどん増やして、今日片付けたものを明日には次のところへ並べることを考えるのです。こんな考え方が今でも生きているのですが、スーパーを営業の大きな柱にしてやろうと、あっちこっちよくやりました。ダブルヘッターどころかトリプル迄こなし、一日のうちに搬入・陳列、すぐ別の店を片付けてそれを次のお店に入れたのです。片付けのはしごだとか、とにかく、よくやりました。やっぱり、スーパーマンなのでしょうか?
- スーパー側にも変化が現れて来ました。催事部門の独立です。従って、私達は店頭販売中心から催事場との両面作戦になったのです。店頭販売ですとワゴンは十台から三十台、出入り口の人の一番多いところを使うのですから、まあまあ効率良く売れるので良かったです。ただし、朝晩の出し入れに苦労するのとお天気に左右されることが弱点ではあります。催事場ですと出し入れが、暑さ寒さには無関係ですが面積が広いことと人の少ない上の方の階になるのが弱点です。催事場は大型店の上部のフロアーにお客様を引き上げるために開設されているのであって、チラシなどによる事前の告知によって、わざわざ来て頂かなければならないのです。でも、スーパーで売る本にそんな魅力はないのですから、チラシを入れても入れなくても売上は殆ど変わらないのです。やはり、通りすがりにふっと買って頂くものなのでしょう。古本展ならばわかりますが、古本では催事企画を生かすだけの力量はないと思うのです。
- 東京の場合デパートをはじめ集客力の強い施設がたくさんありますので、スーパーで内容のある古本展を企画しても、スーパー自体の客筋の違いと商圏の狭さのために、出展者側にメリットが見いだせないのです。古書展はより良いものをそれなりに評価していただいてそれなりの価格で買っていただきたいのです。何でもかんでも安く売るイメージのところには体質が合わないのです。この様なお話を担当者の方と繰り返した結果、古本主体の企画となりました。もちろん、売上には限界があります。その様な中で、以前の実績を確保するためにも、また、他の人たちはせいぜい十台ぐらいしか持たないので、ワゴンを増やし倍以上の本を持って行くのです。こうなると、昨日までの様にダンボールに詰めたり、紐で結わいていたのでは力も要るし、時間もかかるので何とか楽する方法はないかと考えたのです。先ず、トラックをリフト付のアルミバンにして、ベニヤで特製の台車を作ったのです。この台車は、畳むこともできるし、ワゴンとしても使えるように高さと奥行きを合わせてあるのです。大量に作る訳ではないので、設計から製造まで自分達で全部やりました。この特製台車のおかげで搬入・搬出、陳列・撤収がかなりスピードアップしました。台車を捜さなくてもそのまま運べるし、積み替える手間もいらないのです。スーパーの什器や台車は意外と不十分なものですから、自分達にあった資材を用意していると案外プラスになることが多いものです。そうそう、ワゴンのリース代を倹約するために平台も以前に作ったのですよ。三段の本棚を乗せても大丈夫なものを。ああしよう、こうしようと皆で騒いでいたのもなかなか楽しいものです。
- 長い間続けていると、参加者も随分と変わるものです。店売りに重点を置くために外売を一切止めてしまう人や畑を変えてしまう人などそれぞれの理由にて参加しなくなるのです。又、何事も経験とばかりに飛び込みで入ったり、遠方の泊まり込みのところを選んで行く人もいるのです。逆に戦列に加わりたい人も結構いますので随分いろいろなチームが出来ては消えていったのです。我々四人組も体力的な問題や営業効率の点でそれぞれの道を進んでおりますので、今は私が殆どを任されているのです。
- スーパーとの打ち合わせも意外と苦労するものです。人によって、立場によって我々に対する態度が、随分と違うものです。そんななかで、相手を見きわめながら失礼のないように接していくのです。結果からすると、特別な事もないのに、はじめにものすごく気を使うのです。今のところ特段の失敗はありませんが、本屋さん側には先方に譲った分、いや、それ以上にご迷惑をお掛けしているのです。売場が無くなるよりも我々が利用出来たほうが良いと思うから気持ちよく接したいのです。自分の店よりも何倍も条件の良い所を借りて商売するのですから、それなりに理解して、協力していかなければとの信念があるのです。古本屋の雰囲気とちょっと違うのかもしれないけれど、この様な気持ちでものごとを進めていますから、どちらかというと先方のペースでことは進んでいます。
- 初めは、半期の予定を提出していましたが、殆ど無視されて、思った日程は組めません。面積効率にしても、売上高にしても、いろいろな数字が他の業種に比べるとみんな悪いのです。良いのはお客様の滞在時間が長いので賑やかに見えることだけです。こんな訳で、あいている日を使わせて貰っているようなものです。やりたい時には出来ないし、もう、十分と言うときにはこれでもかこれでもかと開催依頼が来るのです。少ないときには自分で独占したようになるし、多いときには無理やり参加して貰ったり、まわりの本屋さんには本当にご迷惑をお掛けしているのです。たとえば、予定しているのに突然変更や中止になったり、逆に、明日から出来ませんからと言って来たり、もう、メチャクチャ。勿論、ブツブツ文句も言うけれど何とかしてしまうのです。この何とかしてしまうところが私の重要な仕事なのです。スーパー側にはどちらかといえば便利屋さんのようなところがあるのでしょう。本屋さん側には勝手な男に見えるでしょうが、お膳立てのできた売り場を確保できるのですから許して頂きたいですね。要は商売になればいいのですよ。
- ところで、スーパーで売れるものもかなり変わって来ました。以前は、比較的何でも売れていたと思うのですが、今は売れて然るべき物が売れていると言ったところです。古本の市場で安いものは、基本的には売れないもので業者は扱いたがらないけれど、その類のものが結構売れたり、大山で出品されているものを丹念に整理して売ったりしたものです。これらは手間を掛けるだけ、余計に儲かったのです。小説本や大判の本も随分売れたので、今より一冊単位も高かったのです。
- でも、最近は時代の流れでしょう、文庫本やムックの類が中心で、新書版もだいぶ人気が落ちてきたようです。五千円・一万円と言った金額のちょっとした本、豪華本等が売れなくなりました。私の処は、他の人よりも単価の高いものを売っていましたので、点数は少なくても金額は伸びていたのですが、状況は変わりました。したがって、新本特価・文庫・児童書・マンガ・新書・安い雑誌等が主体です。そうそう、売れて然るべき物となると皆さんよく知っていて市場でも大変高いのですよ。儲からないものは売りたくないし・・・。
- さて、私も六百キロ積のワゴン車からスタートして一・二五屯積のルートバンに、そして二屯積のルートバンへ順番に乗り換え、途中から三・二五屯積リフト付きアルミバンとの二本立にして展開しているのですが、このことが如何に物量作戦であり、体力の消耗戦であるのかご理解いただけると思います。
- この様な状況でいつまで続けられるのだろうか。スーパーでの販売がどのように変化していくのだろうか。こんな事を時々考えてしまうのです。こんなに忙しく苦労が多いのならば、いっそ、止めてしまいたいと思うのです。でも、現実は甘くは無いのです。一生懸命漕いでいる自転車は急に止まれないし、路線変更は古本屋としての力量に余裕が無ければ出来ないのです。
- 幸か不幸か商業ベースに乗っているからいけないのであって、赤字であればすぐにでも止めているのだろう。さて、商売人であれば、如何にして少ない労力で、少しでも短い時間で、より多く稼ぐかと言うことを考えるのではないだろうか。本来、怠け者であるものとして、ラクして、たくさん稼ぐことを真剣に考えることにしよう。
- これから十年後にどれだけの心の余裕があるだろうか?仕事だけが人生ではないのだから・・・アーア、もっと自由な時間が欲しい。
(目白・金井書店)
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