編集長日誌〜本の御しるし

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編集長日誌46★

5月1日(火曜日)

連休中のためいつもより早く明日が五月号校了日で本日は目が回るようだ。それでも何となく終わるのだから不思議である。

古典修復の技術者だった池上浩山人さんは装?師と称したがホトトギス系の俳人でもあった。神田錦町にお住まいと仕事場をお持ちだったが、私が学校を卒業して東京国立博物館の図書室でアルバイトをしていた昭和53年頃は、東博内にも仕事場があり、病気で少し体が不自由なのか、奥様の池上不二子さんの介添えを受けながらステッキを突いて毎日通われていた。鶯谷駅方面に職員用の通用門があり、回遊式のような日本庭園の中を通るのだが、満開の桜の下をゆっくり歩まれるお二人の後姿が印象的だった。奥様も既にかなりの年齢だったがきれいな方で、女性俳人として有名だというのは大分あとから知った。

池上さんの名は本誌に連載した柴田宵曲翁日録抄に頻繁に出てくる。柴田さんは八木と本郷の青蛙房岡本経一さんの所にほぼ日参といっても良いくらいだったが、池上さん宅へも神田にくれば立ち寄っていた。池上さん唯一の句集『雁門集』のあとがきでも、柴田さんに触れていて最も尊敬していたと書いてある。この句集は四季立てで戦前の作品を収めているが、戦後のものは『稀髪集』として刊行の予定があったようだが未刊だと思う。

志摩芳次郎という俳人に『昭和の俳句 現代の芭蕉たち』(林書店・1968)という本があって、池上さんに一章を割いている。その中に「我輩は猫であるの墓あり秋の雨」という池上さんの句を紹介している。我輩は猫であるの墓を漱石の墓と解釈していて、それが巧みだと書いているが、これは間違いで実際に漱石が飼っていた猫のお墓があったのだ。『稀髪集』が出ていれば入集していただろうか。八木が鈴木三重吉の息子から漱石の書簡を購入した中に猫の死亡通知があった。よく知られた物だが、確か石塔のような猫のお墓の写真もあった筈で新宿の文化財にも指定されているようだ。今回作成した八木の執筆一覧にこの件に関するものが無いのは何故だろう。抜けがあるのか。

5月2日(水曜日)

昨日書いた我輩は猫であるのお墓は、調べてみると、昭和28年12月9日、漱石の没後37年目に猫塚として復元され、その日、現在の漱石公園で復元記念祝典が開かれたようだ。その折の映像が残っていたのを新宿歴史博物館が平成20年に偶然発見したとネットで解説されている。池上さんの句は秋の句だからその時のものではない。ところで、新宿区では平成28年に漱石記念館のような施設を作る計画があるそうだ。文化的事業には石原都知事は熱心ではないが、区立であれば大丈夫か。

5月の連休も半ばだが天気が悪い。土日には古書会館で城北展が開催される。先ほど会員の方に会ったのでお話しを伺ったら、休日だからお客さんは多そうだが、逆に少ないそうである。天気が良いから即売展にでも、とはならないのかもしれない。案外雨模様の方が良いかな。何とか五月号校了となり四連休に入る。

五月号が校了になったところで、溜まった謹呈の資料類をチェックしたら国文学研究資料館から大冊『近世風俗文化学の形成―忍頂寺務草稿および旧蔵書とその周辺』という飯倉洋一さんをはじめとするメンバーによる共同研究報告書が到着していた。『清元研究』『近世歌謡考説』などで知られる忍頂寺務の旧蔵資料は大阪大学付属図書館に収蔵されているが、その詳細な調査報告で三田村鳶魚、柴田宵曲とも関係があり、このところ何回か取上げた高田蝶衣とも関係が深い。見逃せない資料である。

5月7日(月曜日)

天候的には恵まれないGWであった。ことに昨日の竜巻による茨城県、栃木県などの被害は甚大だった。つくば市北条の商店街が直撃され大きな被害の模様がニュースで流れた。私の母の友人がその地でかばん屋さんを開いており、どうも被害を受けたようで連絡が取れない。確か出久根さんのご友人も近くにお住まいだったはずだがどうであろうか。ともかくも皆さんのご無事を祈るばかりだ。大きな災害が日常化している。人災も自然災害もあるが、人災というならやりようで防げそうだが、それが出来ないのが現代の人災なのだろう。

山梨県立文学館から企画展「石川啄木―愛と悲しみの歌」図録が送られてきた。6月24日まで開催されているが、肉筆類を出来うる限り集めた画期的な内容で、時間が許せば見に行きたいと思う。古書市場にも本当にたまに石川啄木の手紙やハガキが出ることがあるが、達筆ではあるが多くは書き流したような字のものが多い。今回展示されているものを見ると、見事な楷書のペン字がある。大逆事件の弁護士平出修から借りた幸徳秋水の陳述書を写したノートの前書きや、有名なローマ字日記、「呼子と口笛」の浄書原稿など驚くべききちんとした文字である。様々な字体を残しているが、そこに頭の良さと複雑さも自ずから現れているように思う。巻末の展示資料の所蔵先を見たら殆どが日本近代文学館であった。土岐善麿宛の書簡などが多いので、土岐氏旧蔵資料なのだろうか。蔵書は確か都立中央というか日比谷図書館に寄贈されたはずだが。

5月8日(火曜日)

昨日の啄木自筆資料が気になるので、山梨文学館に問い合わせたらやはり土岐氏旧蔵のものようだ。平凡社でも「別冊太陽」新刊が啄木を取上げている。タイアップしているのだろう。『中野重治書簡集』も神奈川近代文学館とタイアップしている。

お昼に三省堂入り口でかんたんむさんがワゴンセールをしていたが、その中に『日本近代文学大事典』6冊揃いが6000円であった。付録の地図はないようだが、きれいな本で随分安くなってしまったんだなと驚いた。事務所にもどりネットで検索すると何と5000円のもあるのには驚いた。因みに『国書総目録』も旧版なら5000円で出ている。何という時代になったのかと思う。

ウインドウズのマイクロソフト社が、アメリカの電子書籍販売会社と提携して電子書籍業界に参入するようだ。大学で使用する教科書に力を入れとのこだ。ともかくも、これでアップルのIpad、アマゾンのキンドルと役者が揃っていよいよアメリカは電子書籍中心となっていくのだろうか。日本の業界はアメリカと歴史的条件が違うから同じようにはならないという人もあるが、どうだろう。『日本近代文学大事典』『国書総目録』の古書価や、『広辞苑』など中型辞典の売れ行き不振を考えても、検索を必要とする書物はもう少なくも紙に印刷のものだけでは生き残れないように思う。

5月9日(水曜日)

「群像」「新潮」「文学界」「すばる」の新聞広告は毎月同じ日に並んで出る。私が見たのでは今月は8日の朝日朝刊と、「週刊読書人」の11日版に出ている。読売には出ていなかった。四つ並べるようになったのはいつからなのだろう。新刊書店の文芸系統の雑誌コーナーに行くと、相変わらずA5判が多いが、手が出るのはそうした歴史ある雑誌ではなくて、「考える人」「KOTOBA」とか比較的新しくてもう少し大きなサイズの雑誌だし、読みたい記事もそうした雑誌に多い。特集も幅が広いし写真なども多用している。純粋に文芸というのではないが、現在の問題を考える文学のかたちなのではないだろうか。大体純粋な文芸というのも疑わしいものだ。昨年から、特集が光る「世界」も沖縄特集だ。この15日が本土復帰40年ということだが、そうした単なる節目ということではなくて、沖縄の米軍基地にからむ問題。最近は本誌で上笙一郎さんが沖縄の児童文学を植民地文学という視点から取上げているが、マスコミでも日本人による沖縄の人々への差別がクローズアップされている。本土復帰ではなくて再併合だったという視点だ。

久しぶりに神保町交差点にある信山社に立ち寄ったら、「みすず」が売られていた。「図書」「ちくま」などは取り敢えず毎月目にするが「みすず」は滅多に見ない。表紙も本文のレイアウトも、内容も、以前と大分変化しているので驚いた。

5月10日(木曜日)

『探偵作家追跡』『探偵作家尋訪』に続く若狭邦男さんの三冊目『探偵作家発見100』の原稿が届き目を通しているが、相変わらずその資料博捜ぶりには驚嘆させられる。ミステリーファンは多いと思うが、世に余り知られることもなく消えていった探偵作家の足跡を、それこそ名探偵のごとくあまたの資料から実証しているのだ。中に米田三星という医者を本職とする探偵小説家が紹介されているが、先行する研究者もいて、米田は日中戦争に召集されたが、もし執筆を続けたとしても、戦時体制下では探偵小説を発表することは出来なかったろうと書いているらしい。江戸川乱歩の「芋虫」が反軍国主義的として短編集から削除され以後、殆ど執筆禁止状態となったことは割合有名だが、この娯楽小説の分野でどの程度の弾圧があったのだろうか。若狭さんの三冊目少々手を入れる必要もあるので早くて八月、あるいは秋ころの刊行になるか。

5月11日(金曜日)

北海道の元気印・サッポロ堂書店の石原誠さんが念願の雑誌『環オホーツクの環境と歴史』という雑誌を創刊した。南部嘉右衛門と飛騨屋(菊池勇夫)日本産ヒメマス類の諸問題(持田誠)ニコライ・ネフスキーのアイヌ研究と知里真志保(田中水絵)日本におけるアルセーニエフ研究小史(水野勉)延齢草日記(鮫島惇一郎)サハリン島におけるアイヌの経済生活概説(ブロニスワス・ピウスツキ・兎内勇津流訳)エゾ島(ジョルジュ・アペール)自著を語る『蝦夷とは誰か』(松本建速)など幅広くカバーしている。厳しい状況の中、目先しか見えない古本屋(当社も例外ではない)が多い中で、この仕事は快挙である。石原さんは編集後記で「一般市民、中間の人々、研究者の三者があいまって人間性(自然性?)あふれる雑誌にしたいと思う。」と書いている。発行日は福島原発第一号機爆発から一年目の3月12日にしたともある。B5判、87ページ、1500円。5号まで年刊で出したいとのことだ。健闘を心より祈念したい。

明治古典会に北園克衛や西脇順三郎が出した前衛詩雑誌「衣裳と太陽」の一冊が出ていた。もう二十年くらい前に神保町の田村書店が複製出版したことがあるが、本物は初めて見た気がする。しかも西脇が巻頭に自筆の詩を書いている。表紙は艶のある紙であった。複製は普通の厚手の上質紙だった記憶があったので、そうだったのかと思った。北園らしい。

5月14日(月曜日)

昨日、世田谷美術館で開催されている「駒井哲郎展」を見てきた。天気が良かったので砧公園は家族連れで一杯だった。かたや展示会はがらがら、駒井ほどの人気銅版画家でもこんなものだろうか。ピカソやゴッホ、ルノアール、ミレー、ロダンあたりなら長蛇の列になるだろうものを。もっとも見学する方にしてみればすいていたほうが有難い。

しかし、銅版画は基本的に小さい。迫力の点で他の絵画に見劣りする。それにあの小さな画面にこれでもかといった感じで精密な線を刻んでいく作業は性格にも大いに影響を与えるだろうと思う。15歳の折の銅版画作品で、日本橋の商家や水路を描いたものが何点もあったが、瓦の一枚一枚、煉瓦の一つ一つが几帳面に刻み込まれている。それがはがきほどの大きさなのだ。いったいどんな少年だったのだろうか。ところで、今展示品中もっとも驚いたのは、1951年に青柳瑞穂の訳した『マルドロオルの歌』(木馬社)に駒井は挿絵として五点銅版画を描いているが、この本限定350部だが、ガラスケースに入ったその本をよく見たら、小口の地に○特の小さな印が押されていた。これはきっと特価本の印である。刊行当時けして高い評価を受けたわけではないから、ありそうなことではある。ネットで調べると現在の古書価は15万円以上である。

もうひとつ行った甲斐のある絵に出合った。駒井の展示とは別に世田谷アーチスト・コロニー「白と黒の会」の仲間たちという展示会も開催されていたが、その中に二点内田巌の油絵があった。「魚」「漁船」を描いたものだが、有名なのは前田寛治の作風に似たような作品だが、これは完全なリアリズム、しかもものすごい力量を示す作品であった。巌は言わずもがなだが、魯庵の長男である。内田巌のことは「ブキッシュ」という雑誌に書いたことがある。

5月15日(火曜日)

生憎の雨模様だが、本日は洋書会の大市である。古書会館の3、4階が会場だが4階は殆ど日本の本でしかも口物だ。3階には流石に重厚な洋書が並ぶ。語学に堪能であれば古本趣味の幅が広がるのだが、誠に残念である。ヴィトゲンシュタイン全集などびっくりするほど大きな版である。ちょっと日本人にはない感覚だ。目立つのは銅版画の挿絵本の数々だろう。『アルゼンチン蝶類図譜』4冊という大判の本があった。さぞ美しい蝶の図が沢山入っているんだろうなと思って大きな本を開いてみたが、ぱらぱら見たところでは全然絵が無い。もう一度見直したら少しだけかなり精度の粗いカラー図版があることはあった。しかし図譜というには問題がある。多色石版や木口木版、あるいは多色銅版の繊細華麗な昆虫図鑑かと思ったので拍子抜けしたが、資料的価値はまた別かもしれない。ロンドンの風俗を描いた銅版画集があったがこれは単色ながら見事なものだった。

ところで、五月号が完成、ご寄稿いただいた版画堂さんにお届けすると、ご主人樋口さんがいたので、昨日書いた『マルドロオルの歌』特価本のことを聞いたら、勿論それが特価で売られていたのを見たことはないが、話には聞いていたという。それこそ彼が修業した山田書店あたりでは積み上げて売っていたのではないかとも。もっとも○特の印まで捺されていたのは知らなかったとのことだった。

五月号は折付が東日本大震災後一年を迎えた福島・宮城の古書業界のこの一年と現状をレポートしている。6月号と2回連載の渾身の報告だ。またさほど長い記事ではないが、昭和8年から神保町で古本一筋に生きる明文堂書店中根隆治さんのお話を掲載した。亡くなった八木と全く同じ時代を生きてこられ、尚現役でお店に出ている超ベテランだ。神保町の書店さんたちも中根さんの詳しい経歴は案外ご存知ないのではないかと思う。こうしたベテランの話も極力紹介していきたいと考えている。



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