えぽっくbW7   2013年10月25日発行   「中村彝アトリエ」渡辺明子  「みなもと」花井敏夫   

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植松長一郎私家版豆本文明開化集 -増訂麦酒事始 人力車物語 乗合馬車物語- 植松長一郎著刊 限100 二重函 私家版豆本20〜22 著者自装 家蔵本 外函少シミ 昭55 3冊 10,000円
高尾山ケーブルカー絵葉書 ケーブルカーの遠景 交叉場 清瀧ケーブルカー停車場他 発行年不明 8枚 3,000円
長岡高等工業学校記念絵葉書 -開校十周年記念- 最近の本校全景 悠久山に於ける学生スキー練習他 袋付 発行年不明 5枚 3,000円
御大礼奉祝カンテラ行列記念絵葉書 慶應義塾三田新聞学会 三田通りを行進 二重橋前の万歳他 袋付 昭3 7枚 3,500円
足尾銅山絵葉書 足尾町全景 足尾銅山製コンバーター 鉄筋コンクリート坑道他 袋付 発行年不明 14枚 12,000円
北海道主産物絵葉書 北海道庁 針葉樹林の大観 新開殖民地の状況 木材流送の状況他 少汚れ 大5 8枚 3,000円
薮塚鉱泉場絵葉書 鉱泉元今井水源温泉神社之景 鉱泉場全景 薮塚石材会社西山工場他 鉱泉分析試験表付 袋イタミ 発行年不明 6枚 5,000円
軍艦妙高進水式記念絵葉書 揃 エンボス加工 袋少シミ 昭2 3枚 4,000円
写真明細絵図入 平和紀念東京博覧会案内図 東京平和堂 少イタミ 大11 1枚 4,000円
マガジン・ミニ 1巻2号 -初秋号 特集・水森亜土- やなせたかし 中村メイコ 内藤ルネ 立原エリカ他 伊藤昭久編 山梨シルクセンター 初 季刊 10.4×7.5糎 宇野亜喜良目次レイアウト 昭43 1冊 8,000円
下松市勢要覧 -市制施行十周年記念- 下松市役所編刊 初 吉田初三郎鳥瞰図入 写真入 ヤケシミ 昭24 1冊 5,000円
少女倶楽部 24巻1号 西條八十 壺井栄 サトウ・ハチロー 吉田絃二郎他 吉田俊作編 講談社 初 寺内萬治郎表紙 加藤まさを 須藤しげる他挿絵 昭21 1冊 3,000円
富士 20巻4号 佐々木克巳 北沢楽天 山岡荘八他 須藤憲三編 講談社 初 山口将吉郎 松野一夫他挿絵 少シミ 少背イタミ 昭19 1冊 5,000円
小学五年生 2巻10号 山中峯太郎 山岡荘八 木村荘十他 浅野次郎編 小学館 初 高畠華宵 伊勢良夫他挿絵 梁川剛一表紙 山川惣治表紙裏絵 ふろく欠 少シミ 昭25 1冊 4,500円
上海最新地図 1/12000 約54×78糎 パノラマ写真入 発行年不明 少イタミ  1冊 12,000円
虹の唄 美空ひばり 講談社 初 カバー ヤケシミ カバーイタミ少スレ 昭32 1冊 5,000円
文学風俗 2巻1号 宮川曼魚 尾崎久弥 邦枝完二 岩田豊雄 五明楼玉輔 大辻司郎他 原田齊起編 文学風俗社 初 落語の研究等落語に関する記事16本他 100頁 シミ 昭4 1冊 9,500円
長篇叙事詩 地獄篇 寺山修司 思潮社 限500 函 ペン書署名入 粟津潔木版1葉付 火縄欠 ローソク折れ 昭45 1冊 20,000円
コドモノクニ 14巻2号 小川未明 佐藤義美 北川千代他 八柳吉治郎編 東京社 初 武井武雄表紙 初山滋 安泰 本田庄太郎他挿絵 ヤケ 背イタミ 昭10 1冊 18,000円
コドモノクニ 14巻13号 西條八十 槇本楠郎 仁科春彦他 八柳吉治郎編 東京社 初 武井武雄表紙 初山滋 安泰 本田庄太郎他挿絵 シミ少汚れ 昭10 1冊 18,000円
有喜世新聞(うきよ新聞) 21〜133号 竹中重固編 三益社 和綴合本 93号一部欠損 シミイタミ 明11 5冊 25,000円
随筆八十八 -中川一政米寿記念出版- 中川一政 講談社 二重函 毛筆署名入 非売品 著者自装 オリジナルリトグラフ3点使用(手箱・表紙・飾り扉) 外函内函とも少ヤケ 外函少イタミ 昭55 1冊 15,000円
大野林火句額「鳥も稀の冬の泉の青水輪」 大野林火 函 26×36糎 額面35×41糎 1面 10,000円
腹の虫 中川一政 日本経済新聞社 初 函 毛筆署名入 昭50 1冊 8,500円
伊藤式軽便蒸熱器食パン和洋菓子製法 吉田式改良天火蒸焼鍋説明書 伊藤佐商店 家庭製パン商会 蒸焼鍋説明書は発行年不明 イタミシミ 明44 2冊 5,000円
伊藤眞澄木版画集1 京 伊藤眞澄著刊 限100 函 国画会会員 自刻自摺 昭51 1冊 10,000円
川村竹治(亜洲)色紙 シミ強 4枚 6,000円
古今東京名所 八ツ小路昌平橋・元筋違萬代橋 歌川広重(三代) 明 1枚 8,000円
100 POSTERS OF TADANORI YOKOO -横尾忠則ポスター集- 横尾忠則 講談社 初 マジック署名入 ポスター付 帯欠 昭53 1冊 8,000円
まり子の社会見学 宮城まり子 中央公論社 初 カバー帯 献呈署名入 ヤケ カバーイタミ 昭35 1冊 4,000円
東大全共闘 -われわれにとって東大闘争とは何か- 羽仁五郎 野坂昭如 山本義隆他 東大全学助手共闘会議編 三一書房 初 カバー 渡辺眸撮影 ヤケ 天小口シミ 帯半分欠 昭44 1冊 20,000円


 


みなもと

 読書の秋、食欲の秋・・なにごとにも良い季節“秋”なのですが、台風が、それも、猛烈な台風が襲ってきます。台風が呼び込んだ寒気のおかげで北海道では早い積雪。台風を発達させる温かい海水温度、同時に寒気、頭が混乱します。皆さま如何お過ごしでしょうか。
 東京駅八重洲口駅舎“グランルーフ”が完成しました。来秋、バスターミナルなどの駅前広場が整備完了すれば、一連のリニューアルは完成です。あとは、南口自由通路が期待されています。
 今日の再開発のメインは京橋です。中央区指定文化財「明治屋京橋ビル」の耐震工事と共に高層ビルの建設が始まっています。日本橋エリアの再開発と共に数年後には街が様変わりすることでしょう。東京駅八重洲口の目の前も再開発組合が出来て、2020年の東京オリンピックの時には完成するようです。再開発によるマンションと商業ビルが増え続ける中央区は“東京オリンピック”を境に歴史的変化が起きるのではないでしょうか。住む人が増え、江戸時代からの商業と庶民の街が甦ることでしょう。
 金井書店創業の地、目白には尾張徳川家のお屋敷がありますが、賑わいは明治時代後期から芽生え、昭和時代と共に成長したのではないでしょうか。目白は行政上は豊島区ですが、新宿区下落合地区は目白でもあります。神田川の北側、高台地区は目白と呼ばれます。なので、“目白・金井書店”です。
 近衛篤麿、文麿をはじめ、政治家、学者、文人墨客が多く居住した地です。買い物カゴを提げてのショッピングではなくて、御用聞き、ツケが主流でした。毎日、注文をとりに訪問し、配達、支払いはあとから纏めて払う時代でした。今では想像もつかないことです。
 中村彝アトリエの近くに引越魔と言われた色川武大(阿佐田哲也)さんが住んでいて、毎月のように本をお届けしました。巨体に寄り添う小柄な美しい奥様に羨望の眼差しを送っていたのは愉しき想い出です。
 それぞれの土地の歴史や風土、交流によって個性が育まれると思うのですが、書物をはじめ印刷物も大いに関係することと思います。一般的には嫌われることですが、記名や書き入れ、栞代わりに挟まっているモノ、頁の間に隠していたモノ、それらは色々な発見に繋がったり、その時代を垣間見たり、興味がわくことでもあります。
 昔の一冊の本、一枚の紙から新発見やときめき、感動など先人が残した軌跡をお楽しみください。
 金井書店では、お譲りいただいた本を丹念に整理して、このようにお楽しみいただける本を見つけ出しています。ご不要の本がありましたら是非ご相談ください。
 スタッフ一同、皆さまのご利用をお待ち申しあげます。
           金井書店 花井敏夫



中村彝アトリエ

 今年の5月頃から時折目白店の店番をするようになりました。月に数回のこともあれば、10日ほど入る月もあります。ずっと地下街で働いてきたので路面店で仕事をすることには以前から少し憧れがありました。陽射しや風、天気の移り変わりなどをじかに感じるのは新鮮です。とはいえモグラのような地下街暮らしに慣れた身には、今年の猛暑と大雨は厳しいものがありました…。
 やっと暑さもやわらいできて、これからは気持ちのいい散歩ができるだろうと期待しています。まだ目白駅と店との往復ばかりで横道にそれる余裕はないのですが、周辺には素敵な散策スポットもあるのでいずれ歩いてみたいと思っています。
 目白店から5分くらいのところに大正時代に活躍した洋画家中村彝(なかむら・つね)のアトリエ記念館があります。新宿区が整備をして今年の春から見学できるようになりました。赤い屋根の可愛らしい建物です。彼が住み始めた頃の付近の様子はこんな風に伝記に記されています。「表通りは桜並木の下が崖になっていて、小鳥がさかんに囀っていた。向かい側の崖の上はポツポツ家が建ちかけていたので、彝さんは庭から向かい側の家などを入れて写生もしている」(『中村彝の周辺』鈴木良三著 中央公論美術出版刊)。彝自身も友人に宛てた手紙に「周囲が青々と起伏した畑で、所々にコンモリした樫の森や、生垣や、西洋館や、桜、櫟等の並木が見える、丸でプロヴァンスの景色でも見るようです」とのどかな光景をしたためています。落合村と呼ばれていた時代です。
 住宅地として切り開かれはじめた矢先で、瀟洒な屋敷がちらほらと見える反面、雑木林もたくさん残っていました。彼のアトリエも大きくはありませんが当時としてはハイカラな雰囲気があったそうです。桜並木と書かれているアトリエ前の通りをいま歩いてみると、崖を思わせる高低差があるのはわかりますが、集合住宅が建っていて向かい側を臨むことはできません。でも歩道は整備されていて気持ちよく散策できます。しばらくいくとアダチ版画研究所があり、先は佐伯祐三のアトリエ記念館に続いているそうです。いまでは高級住宅街という雰囲気の土地ですが、古くからあるのであろう家の庭には大きな樹木も見えて、昔の様子がしのばれます。
 アトリエの広さは8畳くらいでしょうか。北側に大きな採光窓があり柔らかな光が差し込むようにつくられています。隣にある居間は庭に面しています。あとは住み込みで彝の世話をしていた岡野キイの居室や台所があるだけのこぢんまりとした建物です。彼がこのアトリエで暮らしたのは大正5年から亡くなった大正13年までの8年ほど。長く住んでいたとはいえませんが、他界したのが37歳という若さです。17歳で結核を患い、長い闘病生活をおくっていました。ここでの生活は彼の画業のなかで大きな割合を占めています。それに彼の生涯を知ってからアトリエを見学すると、小さな空間が彼にとって非常に大切な存在だったこと、ここで名作が生まれたということがオーバーラップして、実際の広さよりずっと広く感じられます。
 住みはじめの数年は海辺に療養に出かける体力もありましたが、徐々に弱り外出も難しくなっていきました。それでもアトリエからの眺めを写生したり、友人に静物画のモチーフを頼んだりして作品を製作しています。熱で倒れたときは居間に据えつけられたベッドに横になっているしかありませんが、そんな時でもベッド脇に貼ったレンブラントやルノアールなどの切り抜きを眺めては研究し、次の作品の構想を考えていたそうです。
 彼がこのアトリエで描いた名作「エロシェンコ氏の像」は東京国立近代美術館に所蔵されており、先日まで所蔵品展に出品されていたので観ることができました。近代の肖像画のなかで傑作に数えられる作品です。実際絵の前に立つと、モデルのたたずまいがはっきりとこちらに伝わってきます。私はこの絵を見てはじめて、肖像画というのは似ている似ていないということは問題でなくモデルの内面、人となりが描けているかどうかが成否なんだということを実感しました。中村彝はこの絵を8日間描き続けたあと倒れ、当面の絶対安静を言い渡されたそうなのですが、作品にはそうした疲れや苦心などはみじんも感じられず、ひたすら美しく温かい筆づかいが見えるだけです。
 この名画は現在東京国立近代美術館に所蔵されています。アトリエではイーゼルに精細な複製印刷画が飾られていました。北の窓からそそぐ柔らかい光のなかでその絵を見ていたら、アトリエも名画の誕生に欠かせない装置の一つだったのかもと思いました。

 中村彝は旧水戸藩士の家に、5人兄弟の末っ子として生まれました。両親を早くに亡くし、軍人だった長兄を頼って東京へ出てきたのが12歳。兄と同じように軍人を目指していましたが肺結核を患い学校を退学。転地療養先で写生をしたり、画家を目指す友人と交流したりするなかから画家を志すようになりました。画家として不遇だったわけではありません。裕福ではありませんでしたが、展覧会では幾度も入賞し、天才とも評されました。絵を買ってくれたり生活費を助けたりしてくれる実業家も何人かいました。惜しまれるのは才能を遺憾なく発揮できるだけの体力、健康に恵まれなかったこと。
 けれども病があるからといって鬱々と暮らすような人ではありませんでした。どちらかといえば楽観的だったようです。友人との交流は密で、仲間に支えられながら生きていたといえるでしょう。そして彼も仲間を支えました。自ら動いて友達を助けることはできなくても、支援者に仲間を紹介したり、少ない蓄えの中から援助したり、励ましの言葉をおくったりと。特に深い交流があった美術仲間に曽宮一念、中原悌二郎、鶴田吾郎らがいます。画友と交流する場をつくろうと、アトリエの庭で美術仲間20人ほど集めて園遊会を開いたこともありました。没後に遺稿を集めて出版された『芸術の無限感』(岩波書店刊)には友人や支援者などに送った書簡が載っていますが、誰に対しても愛情と感謝の念にあふれた言葉が綴られて、やりとりの間にある温もりがうかがえます。
 そして友人たちから愛されたもう一つの理由に、絵画への人並みならぬ執念があるのではないかと思います。亡くなる前年の大正12年に関東大震災がありました。書簡にその後の心境が書き記されていました。「たとい体の状態がどのようであろうとも、もはやベンベンとして病を養ってなどはいられないような気がしてなりません。いかに微かなりとも残存せる全生命の死力を尽くして、自分のもてる一切をこの際はきだしてしまわなくてはいられなくなりました」と。命を削るようにして絵画に向き合う姿勢は、美術仲間から見ても痛ましく、かつ神々しいものがあったと思います。
 大正時代に建てられたアトリエが現在まで残っていたことが、彼が愛され尊敬されていたことの一番の証といえるでしょう。没後まもなく友人たちが遺品の整理、遺稿集の出版準備などに取りかかりました。アトリエの保存も友人たち意思によるものです。中村彝が世間から忘れ去られないように、彼を偲ぶよすがをこの世に残しておきたいという思いで中村画室倶楽部という会がつくられました。やがて人手に渡りもしましたが、現在めでたくアトリエの見学ができるようになって中村彝の画業に触れる機会をもてたのも、中村彝と仲間たちとの友愛のおかげに他ならないと思います。もし目白におこしになる機会がありましたら、アトリエも含めて散策してみてはいかがでしょうか。